Hiroshima
広島でみつけた建築

ONOMICHI U2
ガウディハウス

尾道は私の地元なので、旅行に行った訳ではありませんが、旅行者にとってもとても魅力のある街だと思います。 山と海岸の間が狭く、その狭い地形の中を線路が通り、必然的に山の斜面にまでキュウッと押し込んだように家々が建ち並ぶため、「坂の町」と呼ばれます。
「坂の町」の姿はどこか郷愁的で、初めて訪れる人にさえ親しみやすさや懐かしさを感じさせてしまうこの雰囲気が、尾道の魅力なのでしょう。 とはいえ子供の頃は、駅近くの商店街はほとんどの店のシャッターが閉まり、よくある「THE・寂れた商店街」という雰囲気が漂っていて、正直「ダサい田舎だなぁ」と思っていました。
それが、2000年代に入って尾道駅の再開発が始まり、しまなみ街道は自転車で渡れるようになり、目に見えて旅行者が増えました。 そこかしこで自転車に乗った人が目に入るようになり、駅前や商店街を中心に、どんどん街が活性化していき、昔では考えられなかったような(言い過ぎ?)おしゃれなお店が今はたくさんあります。

ONOMICHI U2

戦時中に建てられた県営の海運倉庫「県営上屋(うわや)2号」を、サイクリストのためのホテルをメインにした複合商業施設に全面リノベーションした建物です。
設計を担当されたのは広島県出身の建築家・谷尻誠さんで、県内でも数多くの建築物を手がけており、憧れの建築家の一人です。(数年前に公開された細田守監督のアニメ映画『未来のミライ』に出てくる家がきっかけで谷尻誠さんを知りました。自然と共生するみたいに斜面に沿って建っている家が素敵だなぁと思って、後から詳細をパンフレットで読んで、ファンになりました。)

基本的に海運倉庫の構造的なつくりはそのままになっていて、ガレージのような無骨な雰囲気がとてもかっこいいです。 リノベーションされていますが、必要以上に天井部分の開口部も増やしていないようです。 そのため、建物内の通路などは少し薄暗く感じる場所もありますが、元々倉庫の時は締め切っていた扉を解放することで レストランや雑貨売り場などはしっかりと光が取り込まれ、想像以上に明るい空間がつくりだされていました。

日本初の「サイクリストのために特化した商業施設」というコンセプト建築だけあって、そのこだわりが随所に見られます。 谷尻さんも自転車がお好きだそうで、サイクリストへの配慮がより現れているのでしょう。 基本的にはどこでも自転車を転がしていけるように、段差がある場所にもスロープ付き。 ホテル室内にも自転車をかけておくスペースが設けられていて、しまなみ街道のサイクリングから戻ってきた人たちが 愛車と共に体をゆっくり休められる最高の環境が整えられています。 アメリカの有名自転車ブランド「ジャイアント」の店舗が入っていて、メンテナンスも受け付けてくれるのは、痒いところにも手が届いてさすがだなと思います。

他に入っているレストランや雑貨屋は、地元の名産品を取り扱っており、地域産業の活性化に大きく貢献しています。 私も、地元がこんなにイキイキしているのにテンションが上がり、思わず尾道帆布のキャップを購入してしまいました笑。
近隣の街とのアクセスも悪くないので、サイクリストだけでなく電車旅などで訪れる人も増えているみたいですね。電車旅で尾道を楽しまれている方のサイトがあって素敵でした。こうやって地元の魅力を発信してくれもらえるというのは嬉しいですね。
「心躍る、女子旅。」
http://jyoshitabi.net/

[Data] ONOMICHI U2
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竣工:1943年(昭和18年)
旧名称:尾道糸崎港西御所地区県営上屋2号
改築:2014年
設計:谷尻誠・吉田愛/SUPPOSE DESIGN OFFICE

ガウディハウス

先ほどの海側にあった「ONOMICHI U2」に対して、今度は山側の建物。
尾道で有名な観光地・千光寺公園に向かう石垣斜面に建っている、和洋折衷の独特な建物「ガウディハウス」について。 私の住んでいたあたりとは方向が違うので、この建物の存在を知ったのは大学に入り実家を離れて建築を学び始めた後でした。 大学で古民家再生などに興味を持ち始め、地元のことも調べた時にその名前の奇抜さに目を引かれて知ったのですが、 「昭和」感溢れる家ばかりの地元に、こんな粋なデザインの建物があったと知って驚きました。

昭和の始め、地元民の家ではなく、要は商人の別荘として建てられたそうで、デザインもかっこいいのですが、何がすごいかというと一人の大工によって一年の歳月をかけて建てられたということです。
構造形式は木造2階建で一部には地下室があり、和館と洋館で構成されています。屋根は瓦葺きで、建築面積は50平方メートル。 見た目からも分かるように、とにかく外観が複雑で、オーナーのこだわりがとても強かったということが伺えます。 入母屋屋根に切妻破や小庇、露台をつけることで、多角形の複雑な形を生み出し、変化に富んだ屋根構成に仕上がっています。 そもそも敷地が狭くて複雑で、普通だったらこんなところに家は建てたくないんじゃないかなと思うのですが(尾道はそういう敷地が多そう)、その変形型の敷地を巧みに利用していて、屋根の稜線もどこまでも変化していきそうに見えます。
そういうアントニ・ガウディの建築みたいな装飾過剰なところから「ガウディハウス」と呼ばれるようになったのでしょう。 室内の座敷や階段の造作も、かなり精密で、他にも書院の欄間の彫刻や組子障子、丸窓などに丁寧な細工が溢れています。 実家の家が日本家屋だったりすると普通にこういう意匠は案外身近で、珍しく感じない人も多いかもしれません。 でもこういう日本の緻密な工芸は世界的に見てもかなり高度な技術だし、組子の素晴らしさって継承していきたい財産だなぁと思います。 歴史ある組子について特集されていた記事でも、残すためには発信し続けることが大切だと書かれていました。
「あの"ななつ星"にも採用された繊細で美しい『大川組子』 」
https://bulan.co/swings/ookawa_kumiko/


そんな素晴らしい建築物でも住む人がいなければ朽ちていく一方です。 25年以上空き家状態になっていたところ、NPO法人「尾道空家再生プロジェクト」によって、 地元尾道大学の学生と共同で改修を行い、レンタルスペースとして生まれ変わりました。 2013年には国の登録有形文化財に登録されています。
蚤の市などのチャリティイベントの開催やアーティストの制作場所、展示会場といった文化的スペースとして提供が行われ、 アーティストが手掛けたふすま絵が和室に使われていたりするそうです。
けれど私がこの建物を知って見に行った際は、またかなり荒れた状態になってしまっていました…。 保存、管理については、今は自治体の管轄になっているはずですが、 なかなか歴史的建造物を良い状態で継承していくのは、こういう田舎では管理者や費用面でも課題が多く厳しいのだと感じてしまいました。

[Data]ガウディハウス
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竣工:1932年(昭和7年)
名称:旧和泉家別邸(別名:ガウディハウス)
改修:2008年